「俺さ、キングが健二と仲良くしてくれんの、実は嬉しいんだよね」
自分の席に戻った佐久間が、コーヒー牛乳に刺さったストローを咥えながらいきなりそんなことを言うのに、一方的に健二を慕っている自覚のある佳主馬は、嬉しいけれど質問と関係ない言葉を返されて思わず目を瞬かせた。
「あいつさあ、欲しいものほど遠慮するっていうか、欲しいものほど我慢することに慣れて麻痺してるって言うか」
紙パックを手にしたまま、天井へと視線を上げて佐久間は続ける。
「あいつん家共働きだから、子供の頃は祖父(じい)さん家に預けられててさ。相当厳しい人だったらしいんだよな。うるさい子供が嫌いな祖父さんだから、静かに行儀よくしてないとダメで。でもそういうの、子供にはきっついだろ。
褒められたことも認められたことも少ないから自分に自信がないし、自分の意見を言わせて貰えることもないから引っ込み思案だし。寂しがりなのに居場所がどこにもなくて、顔色覗って過ごしてさ。欲しいもの欲しいって言えなくて、いつだって遠慮がち」
視線を戻した佐久間は紙パックを机の上に置いて肘を突くと、佳主馬に向けてメイキング・オブ・健二な、と苦笑する。
「で、そんな健二でも、いやだからかな、キング・カズマと 池沢 佳主馬 の大ファンなんですよ」
「――? 僕?」
佐久間の予想外の言葉に、無意識に眉を寄せる。キング・カズマのファンなのは知っているけれど、佳主馬のファンってなんだ。キング・カズマを取り除けば、佳主馬はただの子供でしかないことは、自分自身がよく理解している。
首を傾げる佳主馬に、佐久間はメガネのブリッジを押さえてにっ、と笑って返す。
「キングってあんまり人と関わらないっていうか、寄せ付けないタイプだろ。そのキングがさ、俺に連絡してくれたじゃん。学校生活に支障はないかとか、ムリしてないかとか。スポンサー候補の各企業に声明を出してくれたりさ。お陰様で各方面の企業が働きかけてくれて、健二の周りも比較的早く静かになったし」
「…それくらいしか、出来なかったから」
所詮OMCというOZ内1コンテンツでの、更にいうなら元王者。ベルト奪還前であまり強い態度には出られなかったけれど、出来ることはしておきたかった。各社にメールを送ることで保留中だったスポンサー候補が減ろうが別に構わないと思っていたのに、逆にオファーが増えて対応にうんざりした。
そのことは健二にはもちろん、佐久間にも伝えてないけれど、やはりどこからか漏れるのか、それとも佐久間が耳聡いのか。あの事件後、佐久間は末端の末端に格上げされ任される仕事の種類も増えたというし、その立場から以前よりもっと情報を入手し易くなったのかも知れない。
「前のアカウントも正直、消えて良かったと思ってる。あの騒動の時、アバターと本人が確定されてたってことは、いやーな感じの通報出来ちゃいそうなメールも容量限界分来てたと思うし。実際、すぐに帰って来なくて良かったよ。なんかあからさまにアヤシーのがさ、健二の家の周り張ってたから。キングの手回しなかったら夏が終わってもしつこかったかも」
ラブマシーンによって乗っ取られていたOZから何故か健二の個人情報はあっさりと露出し、そしてTVやネットで散々曝された。
今、その健二を守っているのはOZだ。
佐久間が末端の末端に格上げされたように、バイトという形ではあるものの健二は別の部署で『魔法使いの弟子』として働くことになった。つまり深いところに所属することになった分、OZからどのような形でも離れられないことを約束されたということで、それは同時に、非常事態とはいえ最高の機密を持つOZ内を勝手に弄りハッキング等の罪を問わない代わりに、何があろうとOZが健二と佐久間の二人の情報を保護することが誓約されたという意味でもあった。
最も、OZにとっては対面上、ラブマシーンによる混乱を自力で解決することが出来ました、という『事実』が重要で、だから二人はOZ内部の人間になって貰わなくてはならなかったのだけれど。
今まで高セキュリティをウリに様々なサービスを担ってきたOZが、その権威を失いスポンサーが離れ株が投げ売られ、それでセキュリティや現在の運営体制を維持出来ず倒産の憂き目に遭うのもまた、OZがサポートしている企業や公共機関、インフラ等数多の重要な機密を思えば危険なこと。ラブマシーンの件で身に沁みて解ったように、今やOZはなくてはならないものであり、そのOZがOZ外の人間の手によって事態を収拾した、というよりは自己解決した、と表明した方が技術への不信感の払拭や信用度の回復がはるかに高い。社会的責任上やスポンサー各社、株主に対して説明が付く。
責任も出来たけど時給も上がったんだよ、と健二は穏やかに笑うけれど、夏以降、OZの新しいセキュリティの構築やテストの繰り返しが続いた彼は、文化祭の準備と重なってそれは忙しくしていたことを覚えている。
そんな中、佳主馬の秋の大会も見守っていてくれたのだから、勝たない訳がない。負けるはずがないのだ。佳主馬がベルトを奪還出来たのは健二のお陰なのは間違いない。
「そういう、健二を気遣ってくれるとことか。なによりキングが最後、あそこでラブマ叩いてくれなかったら、間に合うわけなかったし。だからキングにはすごく感謝、してますよ俺も」
「でもあれは…、」
眉間に皺を寄せ口ごもる佳主馬に、佐久間はまあまあ、と宥めるように微笑む。
「いや、あの時実際ラブマ叩けたの、キングだけだって。健二にも誰にも出来なかった。俺だってモチロン、ムリ。
健二も言ってたんだけどさ、一番辛くて大変だったのはキングだろ。
最強だけどあの中じゃ最年少で、それなのに誰もがキング・カズマなら怖くないって決めつけてさ。世界中の期待を勝手に押しつけられて相当キツかっただろうに、逃げずにラブマに立ち向かってくれたのが、健二にはサイコーにカッコ良くて、すっげー嬉しかったみたいなんだよなあ」
だからまだ負けてない、って言えたんだってさ。キングがあれだけ頑張って、ダメなはずがないって。
「キングが居なかったら、最初自分のアカウント乗っ取ったラブマにボコられた時点で、健二はくじけてたと思うし。フツーに自分のアバターから攻撃されたらヘコむだろ。でもさ、誰からも犯人扱いを受けてた陣内家で、あの時点でキングだけは会って間もない健二の味方で居てくれたじゃん。それがなきゃ、あの健二なんか頑張れないって。しかも自分を信じてくれてんのが憧れのキング・カズマの中の人だぜ? 健二にとってはもう、神様みたいなもんだよ」
(――かみさま、)
呆然とする佳主馬の視線の先、微笑んだままの佐久間はそう言って、頭の後ろで手を組む。体重を乗せられた背もたれがぎし、と鳴った。
「――僕の味方だったのは、健二さんの方だ。どんな時も僕に失望せずにいてくれた」
一番情けないところをそんな風に思われていたのは、健二自身が夏、帰る前に少し言っていたのは確かに聞いたしその言葉を疑うわけではないけれど、あの時は健二が優しいから、落ち込む佳主馬にただフォローしてくれているのだと思った。
けれど、それを改めて佐久間の口から聞かされるのはまた、別だ。佐久間は健二の親友で、だから佐久間が口にするのは紛れもなく健二の本音だ。
恥ずかしいし、照れる。けれどそれ以上に嬉しかった。
「それでもキングはさ、居てくれるだけで健二にとってのヒーローだってこと」
胸の奥から熱が走って、赤くなっているだろう顔を佐久間に見られないように逸らす。
「――…子供なのに?」
顔を俯けたまま、なんとか声を絞り出して言えば、佐久間はよりいっそう笑みを深めて返した。
「そういうの関係なしにカッコイイと思ってるんだよ、健二は。そして実は俺もです」
褒めちぎられて、それには「ありがとう」と言うべきなのか、それとも「そう」と流すべき所なのか、佳主馬は迷ったあげく何も言わず黙り込んだ。
佐久間から、それに健二から認められていることが、たまらなく嬉しい。
佳主馬はあの時からずっと自分のことを子供だと痛感して、悔しく思って来たのに。焦れなくても良いと、今のままでもいいと言って貰えたのと同じで、こころの奥、緊張していた部分が解れていくのが判る。健二と少しでも距離が縮まったような、受け入れられているような気がして、純粋な喜びが体中を満たしていく。
好意の種類は違っても一方的じゃないことは、佳主馬にとって救いだ。健二以外に親しい人間を作らなかった佳主馬には、健二の佳主馬に対する好意が特別なものだなんてこうやって、佐久間に聞くまで知らないままだった。誰にでも穏やかで控えめで優しい。そんなひとだから、佳主馬とも遠慮がちに付き合ってくれていると思っていた。
思ったより好かれているのなら、嬉しい。
「で、お祝いしようって最初に言い出したのも、その後積極的に企画して準備したのも、ケーキを予約したのも、ぜーんぶキングとキング・カズマがだーい好きな、引っ込み思案の健二くんです」
その言葉が脳で処理された途端、驚いて逸らしていた顔を上げ佐久間を見れば、ガチで、と付け加えられた。
「寂しがりのクセに遠慮がちとか、ちょっと面倒なヤツなんだけどさ。良かったらこれからもちょくちょく構ってやってよ、キング」
* * *
次第に照れの方が勝って来て、あのまま物理部にいるのがいたたまれなくなり、佳主馬は目的もないまま部室を出て来た。
部室を出る時、佐久間が健二の向かった教室を言っていたので、あてがないまま自然とそちらの方へと向かう。このまま進めば、健二のクラスの展示がある特別教室へたどり着く。
全く見知らぬ校舎。ここで健二はいつも過ごしているのかと思うと、特に変わり映えのない校舎も少し感慨深い。けれど所詮、佳主馬はここでは部外者でしかない。4つの年の差を嫌でも理解する。健二とクラスメイトの様子を思い出すけれど、佳主馬には佳主馬の、健二との付き合い方があるのだと先程、佐久間に教えて貰ったのだから、必要以上に気落ちすることもない。
室内ジェットコースターのある教室が近づいて来て、にわかに廊下が騒がしくなる。それを理解した佳主馬は歩みを止め、廊下の窓から小さな中庭を見下ろす。そこにも文化祭ならではの飾りが見える中、花が溢れているのは園芸部と華道部の合作だ。そこだけ、来客の写真撮影が許されていて、その分人影も多い。
ただそれを意味なく見下ろしていただけだというのに。ここにいれば、部室へと戻る健二と合流出来るかも知れないと、ただそう思っていただけなのに。
(――なんで、)
どうして見付けてしまうのかなんて、捜しているのだから当たり前だ。ただ、その可能性をすっかり忘れてしまっていた。
視界に映ったものを脳が理解する前に、心臓が不自然に跳ねて胸に痛みが走る。まるで走っている最中のようにどくどくと鼓動が脈打つ、その度に走る痛みに、耐え切れずとっさに上着の上から胸を押さえた。
人集りの中、どうしてそれだけが目に入ったのか。気付いてしまったのか。
嫌なら目を逸らせばいいのに、ただその光景を食い入るように二人を見詰めてしまう。
上田で二人の様子を見ていたのに。囃し立てる親戚達の中、鼻血を吹いたキスシーンだって見て、それでも健二への気持ちは変わるどころか募るばかりだったから。
だから、あの二人を見るのは平気なのだと思っていたし、夏希とのしあわせも純粋に願えた。今日だって普通に、特に何も感じず夏希と健二を見ていられたはず、なのに。
(…気持ち悪い、)
吐きそう。吐きそうだ。なんだこれ。口元を覆ったてのひらの奥、喉に何かが詰まって呼吸が無意識に荒くなる。背筋を冷や汗が伝ってぞぞ、と震えた。自分の忙しない呼吸の音だけが嫌に耳につく。ぐるりと世界が回る気がして窓の桟を握り込む。震える指で爪が白くなってももっと、強い力で。
夏希が嬉しそうに、健二の腕へと腕を絡める。健二は照れたように頬を赤くしながら笑って、夏希に引かれるまま撮影に用意された段差を上り、写真部の前で頬を寄せ合って立ちポーズを決めた。
二人の様子を周囲の人間たちも、微笑ましそうに見守っている。
(――、)
夏の納戸で、触れ合ったてのひらのことは感触よりも胸の切ない痛みの方が鮮烈で、もう、思い出せない。
夏希のようなあんなことは、佳主馬には出来ない。佳主馬も健二も男だから、人前であんな風に触れ合うことも、身を寄せ合って写真を撮ることも、周囲から温かい笑みを向けられるなんてことも、永遠にないだろう。佳主馬は健二に触れることが出来ない。
そもそも、健二があんな表情をするのは夏希に対してだけで、いくら距離が縮まったように思えたって、健二は佳主馬のものにはならない。そんなことは判っていたはずなのに。
無理矢理感情を抑え付ける胸が痛い。痛みが走るたびに抉られるようだ。突然溢れた感情に頭の中が混乱して、目の奥が熱持って、勝手に潤みそうになる。
(――…、)
「凄い顔してんぞ、お前。窓に映ってる」
突然、ぽん、と肩を叩かれてひゅ、と喉が鳴った。五月蠅かった動悸が治まる。外部の刺激を受けてやっと世界が正常に戻った。途端、どっと体中から汗が噴き出す。自分で自分が解らない状態になっていたのを助けられたことをゆっくりと理解して、ぎこちなく振り返った先、背後に佇む見知った男をゆるゆると見上げた。
「侘、助おじさん…」
「あー…お前はホント、俺と同じでなかなか人に懐かない野良猫っつーか、懐いちまったらそれだけっつーか…」
がしがしと頭を掻きながら、面倒くさそうに言う。確かに面倒くさいものを見つけてしまったのだろうけれど、見ないフリを選ぶだろうこの男が敢えて佳主馬に声を掛けたのは、同じ性質を持つ者同士として認識し合っているからだろうか。
佳主馬の横から中庭の様子を見下ろして、あー、と再び唸る。
「今からそんなんでどうするよ。もっと最悪なこと考えとけ」
「最悪…」
「二人が結婚でもしようもんなら、お前、俺と同じで陣内に寄り付かなくなりそうだな」
「――!」
結婚。
以前は何とも思わなかったその言葉が、重くのし掛かる。だってもう、祝福は出来ないと解ってしまった。二人のしあわせを受け入れられると思っていたのに、いつの間にかそれに拒否反応を示すこころを持ってしまった。
どうして。どうして変わってしまったのか。それはいつだと思い起こそうとして先程の二人の様子と同時に込み上げる不快感で胸が軋んで、失敗する。九月までは平気だった。さっきケーキを食べるまで、普通だった。それなのに。
(――、吐き、そう…)
耐えられない。これじゃあ確かに、侘助とは動機は違えど陣内には、二人を連想させるものの傍には近づけないだろう。自分の急激な変化に付いていけず戸惑う佳主馬を前に、あからさまに面倒くさいという表情で立っている侘助が、口の端を意味深に撓らせる。
「敢えてどっちだ、とかは訊かないでやる」
「…諦めろとか、言わないの」
「あの家の辞書にゃ、その言葉はねえの。お前だって嫌でも知ってんだろ。精々みっともなくもがけ。苦しめ」
頑張んな、ガーキ。
睨み付ける佳主馬の頭を強引に上から抑え付けるように撫でるその手を、振り払う。もう一度見上げた時、はいはいと降参のポーズでてのひらを見せた侘助が、目に寂寥の彩(ひか)りを映して言う。
「言われなくても判ってんだろうが、手遅れになる前に意地は引っ込めとけ。それからもうちょっと、ちゃんと周りを見てみろ」
判っている。
今、周りなんて全然、目に入りやしないのだから。