『おめでとうございまーす!』

『というわけで、俺たちは銚子で日の出を拝んで、今、成田山新勝寺に来たところです!

『寒いです!』

『参拝客パネェです! 人がゴミのようです!』

『佳主馬くんにもお守り買って帰ります!』

――ってことで、今年もどうぞよろしく!』

 【 ムービーをもう一度再生しますか? 1 : Yes / 2 : No 】

「あらあら、健二君たち初詣?」

 早朝携帯に、OZのストリーミングサービスを利用して送られて来ていた雑音混じりのムービーを開いた途端、携帯を持ったまま動きを止めて見入っていた佳主馬に、妹をあやしていた聖美がそっと覗き込みながら問う。

 新年の挨拶と抱負を各自告げた食事の後、親戚総出の初詣をすませ、それから毎年恒例の花札大会(景品付き)の最中だったので、ほぼその場に揃っていた親戚達が次々と佳主馬を囲み始めるのに、仕方がないのでため息を吐きながら携帯の1キーを押す。

『おめでとうございまーす!』

 再びムービーが再生されるのを、観易いようにテーブルの上に置く。途端に携帯のリレーが始まった。

「大晦日から行って日の出拝んで初詣? この寒いのに元気だわあー。さすが若者」

「徹夜でテンション上がってる分、無駄に元気だな」

「なんだ。千葉に出るならいっそ、こっちに寄ればいいのに」

「そうよねぇ。喪中とか夏希に遠慮しないで来れば良かったのに」

 万理子までもが残念そうにムービーを観ている。篠原家は夏希の受験で今回は欠席していて、更には喪中で、そうなればあの礼儀正しく遠慮がちな健二が上田に来るはずもない。健二が来ないなら佐久間も来ない。

(こっちに来るのは遠慮しといて、佐久間さんと二人で初日の出とか初詣って、なんだよ)

 あぐらをかいた膝に頬杖を付いて、手元に戻って来た携帯を操作してムービーをもう一度再生する。

 携帯で撮ったのだろう、画像は粗く、それでも色の白い健二の頬が寒さで赤くなっているのは判る。初めて見る冬の装いは新鮮だった。健二の首に巻かれているのがクリスマスに佳主馬が贈ったマフラーだと気付いて、少し機嫌が向上する。けれど。

 二人が当然のように顔を寄せ合っているのに、いらいらもやもやした感情が胸の奥からじわりじわりと沸き上がる。

 大体初日の出って友達と見に行くもの? いや別に見に行っても良いけど、悪くないけど、健二はダメだ。健二は誰とも行って欲しくない。佐久間と行くならそれが佳主馬だって良かったはずだ。というか行きたい。行きたかった。会いたかった、のに。

 佳主馬の手の届くところに、彼は居ないのだ。いつだって。

――夏希姉ならまだしも、佐久間さんにまでこんなことを思うようになるなんて…)

 はああ、と曲げた膝に額を乗せて、こころの底からのため息を吐く。ややこしい。

 秋以来自分がどこか変なのは自覚していて、聖美に心配されるたびに放っといて、と邪険に返しては、第二反抗期だと思われているところだ。自分にだってこの感情の置き場をどうすればいいのか判らないのだから、仕方がないじゃないか、とふてくされる。

 そして健二のちょっとしたことに大げさに一喜一憂することが多くなって、自分でも「なに浸ってんのきもい…」なんて自分自身に退く。こんなの自分のキャラじゃない、と正直ちょっとヘコむ。

「それにしても仲良いわねー、この二人」

 理香の暢気な声に瞬間的に何かの沸点を超えそうになって、ぐっと拳を握ることで押さえ込む。よく判らない、意識もしてないことを喚き出しそうだったから。

(…健二さんは、僕のじゃない)

 僕のじゃない。僕のものじゃない。何度もそうこころの中で繰り返して、そうやって自分を抑え付ける。

 だから、誰とどこに行こうと、何も言えない。良かったね、楽しかった?言えるのは精々このくらいだ。自分でも重くて嫌になる独占欲を、執着を無理矢理沈めて、平気な顔で、たまには笑って見せて。

 健二はどうしたって、佳主馬だけのものにはならない。

 ――これが健二と夏希なら。

(夏希姉じゃないだけ、マシか…)

 夏希と互いに想い合っているのなら、それは健二にとってのしあわせで、二人のしあわせは間違いなく佳主馬のしあわせだと思っていたのに。

 もう、佳主馬は素直に二人のしあわせを願えない。夏希も、健二もしあわせになって欲しいと思うけれど、でもそれは二人で、じゃない。こういうことを考えてしまう自分に対して、強い自己嫌悪を覚える。

 こうして、ムービーレターを送ってくれる。お守りだって買ってくれる。気に掛けて貰えている証拠。それで充分じゃないか。今の自分の立場でそれ以上に望めるはず、ないじゃないか。

 いつか、また、二人のしあわせを素直に願えるようになるだろうか。

 周囲がラブマシーンの事件に関心を失ったように、いつか。

 そうやって、秋から自分の中に湧き起こる昏くて汚くてもやもやとした感情を宥めるけれど、健二と離れている間に随分とこころの中で育ったそれを、佳主馬はそろそろ、持て余しそうだった。

 頭では判っているのに。

 感情がどうしても、追いつかない。本当に、佳主馬の頭は、体も、おかしくなってしまった。

 このまま健二のことばかり考え続けていたら、一体どうなってしまうのだろう。

「おーい、羽子板見つけたんだけど、誰かしねえ?」

 襖を開けて現れた、早くも花札大会を脱落した了平が羽子板で軽く肩を叩きながら声を上げる、それに佳主馬は手を挙げた。このまま考え続けるのはいけない。行き着く先が自分でも判らない。

「僕がする」

「おっ、珍しいじゃん。佳主馬がノって来るの」

「体、動かしたい」

 どうせ夜は仕事で忙しいのだから、今のうちがいい。

 クリスマスの防衛は済んだ。正月から一週間はここぞとばかりにあれこれ予定が詰まっている。イベント・マッチやエキシビジョン・マッチだけじゃなく、スポンサーの仮想店舗のイベントに出て客寄せしたり、新しい企画に目を通して返事をしたり。

 以前と同じで、それなのにとてつもなく味気ないような気がするのは、健二に会えないからだ。

(…会いたいよ、健二さん)

 近づいたはずなのに、とても遠い。

 携帯のメニューを表示してムービーを保存した佳主馬は、雁の紋付き羽織を脱いで立ち上がり、手早く襷掛けをした後羽子板を受け取りながら、了平と共に縁側から外へと向かう。

「お前が相手だと本気出せるな。なんか賭けるか?」

「正月なんだから当然、お年玉でしょ」

「ちょ、お前と違って俺のなけなしのお年玉を奪おうとすんなー!」

「僕だって毎年8割貯金、通帳は母さんが握ってるから一回もまともに使ったことない。年上で小遣いが高い分、了平兄の方が確実に持ってるよ」

「こらぁあああ!! 金銭はダメだっつってんだろーが、てめえら! 逮捕すんぞ!!」

* * *

 風呂から戻ったいつもの納戸で(さすがに冬になると小さなホットカーペットとラグ、フリースの毛布、石油ストーブという防寒対策が入る)、仕事を片づけ明日の昼、スポンサーが企画したイベントと、夜のエキシビジョン・マッチに向けての調整を始めていた佳主馬は、文机の上に放置していた携帯がいきなり振動するのに顔をしかめて手を伸ばした。長さからいって着信だ。集中している時に誰だとディスプレイを見た途端、乱暴にヘッドフォンを首まで下ろし慌てて出る。

「…ッ、もしもし」

『佳主馬くん、こんばんは! あ、今、だいじょうぶ、かな?』

 名前を呼ばれただけなのにくらりと酩酊のような目眩がして、かろうじてこんばんはと返すのが精一杯だった。昼、ムービーでも聞いた声のはずなのに、あんなものでは全然、全く足りてないのが、耳から体中に喜ぶように跳ねた鼓動と一緒に伝わっていく感覚で判る。

 そんなに前のことでもないクリスマス、ベルト防衛戦の後だって、妹が生まれてからもずっとビデオチャットでやりとりしたというのに。どれだけ自分が健二を欲していたのか、たったこれだけで痛感させられる。

 勝手に走り出した心臓を宥めながら、なるべくいつもの声が出せるよう意識して、電話の向こう、興奮気味の健二に声を掛けた。

「大丈夫。なに、どうしたの健二さん」

『今日の羽子板のラリー、凄かったね! 佳主馬くん、スポーツなら何でも出来るんだ。格好いいなあ』

「は…? え、なんで健二さんが」

『理一さんがムービーと、聖美さんが写真を送ってくれたんだよ!

 それで夏の浴衣の時も思ってたけど、着物が凄く似合うね、佳主馬くん。背筋がぴんと伸びて綺麗だからなあ。鍛錬してる時も見惚れるくらいだし』

 ほんわり電話の向こうで笑う天然凶器、もとい健二の不意打ちに、佳主馬はかっかと上がる体温で暑いくらいの毛布を、穴があくんじゃないかと思うくらい強く握りしめながら、何とか耐える。今、一人で良かった。ビデオチャットじゃなくて、本当に良かった。健二に手放しで褒められて平気な顔が出来る訳がない。健二の顔を(たぶんまた興奮で頬を赤くしている)見られないのは残念だけど。

 熱い顔を片手で覆いながら、佳主馬はあの二人はなにをやってるんだとため息を吐く。

 親戚だろうと親だろうと、佳主馬の許可がないそれは立派な盗撮だ。写真を撮られるのを嫌う佳主馬の隙を巧く突いたのは、さすがだと思うけれど。

『…佳主馬くん?』

 佳主馬のため息に、健二が機嫌を窺うようにそっと問い掛けてくるのに、すぐに否定する。

「なんでもないよ。それより健二さんは、寒くなかった?」

『寒かったよ! 佐久間の趣味のひとつがツーリングなんだけど、「元旦って言ったら初日の出、初詣だろ!」って、年越し蕎麦食べながら急に言い出してさ』

 佳主馬くんがくれたマフラーがなかったら絶対、凍死してたよ、と健二が力を込めて言う。

 その言葉は本当に嬉しい。嬉しいけれど、聞き逃せない事実があった。

「…佐久間さんと、年越したの?」

『あ、うん。母さんは忘年会と新年会を同時進行しながら、まだ仕事場で色々やってるらしくて』

 健二の家は父親のクリスマス休暇に合わせたので、母親の方の年末・年始にしわ寄せが来ているらしい。それはもう仕方がないというか、夏希と仲良く過ごす健二、なんて想像せずに済んで試合に集中出来た分、佳主馬が生まれて初めて敬虔なキリスト教圏にこっそりと感謝を捧げた日でもあった。そうでなければ、ベルトの防衛は危うかったに違いない。

 でも。だからといって。佐久間と年越しなんて聞いてない。聞いてないったら聞いてないのだ。