「あー、連れてっちゃったけど、大丈夫かなあの二人」

 集まった親戚たちが呆然と二人の後ろ姿を見送る中、太助が少し顔を強ばらせながら言う。

「ま、大丈夫っしょ。健二は一発くらい殴られた方がいいし。それだけ、キングも本気ってことだし」

 ずず、と出されていたお茶を飲みながら佐久間が答えるのに、親族中の視線が集中した。注目された佐久間が視線に気づいて、湯呑みをテーブルに置く。

――あ、別にケンカした方が真の友情が芽ばえるとかいう、いつの時代だって話じゃなくて。キングは本気で健二に構って欲しいから、健二の変な遠慮とか勝手な気後れとか、そういうのであっけなく縁を断ち切られたくないって、簡単になかったことにされたくないって、話」

 でしょ?

 佐久間がそう首を傾げるのに、状況を未だ飲み込めていない親族たちはなんと答えればいいのか、全く判らない。ただ、立ち尽くしている状態から徐々に我に返って、柏餅やお茶が配られ、各自思い思いの場所へと落ち着いていく。

「健二は一発くらい殴られとかないと、自分のしでかしたことが判らないし覚えないと思うんで。いい薬です」

「あの、佐久間君。うちの子と健二君は、一体、なにがあったの?」

 美味しそうに柏餅を口に運ぶ佐久間に、この中で一番その権利があるだろう、腕の中に抱えた赤ん坊をあやしながら聖美が問い掛けた。

「そうそう。どういうことなの?」

 由美も身を乗り出してくるのに、親族たち全員が頷く。その息の合った様子を感心しながら柏餅を食べ切った佐久間が、口直しにまたお茶を啜って、うーん、とひとつ唸ってからゆっくりと口を開く。

「あー、つまり。健二はキングと去年の夏より前に、OZで出会ってたってことです。

 でも、互いに知ってたのは【キング・カズマ】、【KK】というOZ上の名前だけ。顔と声は知らないまま、健二が「いつか会おう」って感じでキングに約束して以来連絡は取り合ってなかったんですが、健二は去年の夏、【キング・カズマ】が 池沢 佳主馬 君だと気づいたクセに、今までなにも言わなかった。…のを、さっき知ったキングが怒っちゃった訳です」

「えっ、ホント?」

 驚いた夏希が佐久間に問い掛けるのに、ガチです、と返して親戚中を見渡した。

「去年の5月、まさに一年前のGW中の話なんですけど。知ってる人、理一さん以外に居るのかな」

「GW中っていうと………、佳主馬、ウチに泊まるって言って来なかった時の話?」

 夏希が思い出しながら呟くのに、突然翔太が飲んでいたお茶を吹き出しそうになりながら、声を上げる。

「あーっ、あれだ! 俺、佳主馬を追い掛けて名古屋から来た男を二人、大ばあちゃんの通報で逮捕したぞ? その後調書取ってる内に東京に持ってかれたけどな、佳主馬ともう一人を、名古屋で誘拐して長野まで連れて来てた奴らで…」

「あ、それ。その現場に俺と健二が駆け付けて、二人を助けたんスよね。っていうか、それより前から健二がキングと連絡取り合ってて、俺に手伝えって言って来たんですけど、最後はちょっと力技になっちゃって」

 佐久間の言葉に勢いで立ち上がった翔太が、びし、と指で差しながら更に声を大きくした。

「はぁ!? ちょっとってお前、フルフェイスメット被ったヤツらに、スタンガンで気絶させられたって言ってたぞ、あの二人!」

「あー…ははは。ま、そゆことです」

 誤魔化すように佐久間が笑うが。

「えええええ――!?」

 その瞬間、親戚たちは声に出して、または内心で叫んだ。

「あの草食男子の代名詞みたいな、健二君が!?」

「自分でも信じられない、とかって言ってましたけどね」

 直美の言葉に佐久間も苦笑を返す。

 全く。全くもって、あの時の健二は常にないほど大胆で、思い切りが良かった。本来頭の回転と発想、分析力はピカイチで、実は順応力だって高い。突発的事項に弱いというネックすら、緊急事態にはなりを潜める。気弱で引っ込み思案で遠慮がち、自分に自信がない。そういう普段の姿は消えてしまう。そうして次々と采配を振るう様はまるで魔法のようだろう。

 ――あの夏だってそうだ。佐久間は確かに複雑なプログラムを短時間で組み立てたけれど、健二の発想や分析がなければ、全体を見渡せる視点がなければ意味がない。

 ギャップ萌えってヤツなのかな、と陣内の人間たちを虜にした、今はここにいない親友へとこそりと胸の内で呟く。ここに実際訪れて、健二を歓迎し取り巻く陣内家の空気を直に肌で感じることが出来て、佐久間はその優しさと暖かさにうん、とひとり頷いた。健二が家族の一員として大切にされるのなら、佐久間はそれが一番嬉しい。あの夏のお礼なんて本当はそれだけで充分だ。

 その中でも一際、やられちゃったであろう小さな王様のことを思い浮かべながら、佐久間は続けた。

「OZとセキュリティシステムが連動してる店で強盗が起こったのにキングが現実の方で巻き込まれて、バイト中の健二がキングの要請に応えてOZの仮想店舗の方にメンテナンスに向かって、キングともう一人を逃がす手助けに数学を使った。その後強盗犯達に拉致されたキングは健二を色々頼って、健二もその信頼に応えた」

「なんだ、また暗号か?」

「だったらすぐに気付くだろう、あの佳主馬なら」

 万助が言えば万作がすかさず返す。それもそうかと頷く万助を見て、佐久間は説明する。

「あいつがしたのは、デパートの4階から1階にあるバルーンハウスへ二人の人間が飛び降りた時の、その衝撃と耐久の計算です」

「瞬時に?」

「もちろん」

 今まで無言を保っていた理一が微笑むのに、佐久間もにっこり笑って返す。

「ははっ、そりゃああのガキも、頼りにするな」

 いつの間にか、部屋へと体を向けていた侘助もが笑うのに、理一が更に重ねた。

「土壇場の健二君に『大丈夫です』とか言われたら、4階からでも飛ぶね」

「もの凄く悩むだろうがな」

「…じゃあ、あの佳主馬が健二君に懐いたのも」

 くつくつと笑う二人を見ていた聖美がぽつりと呟いたのに、理香が大きく頷く。

「どこかしら、無意識に判ってたんじゃない? だってあの子、もの凄く珍しいことに、健二君が主張した大おばあちゃんの敵討ちに最初に乗ったらしいし」

「それじゃあ、佳主馬君にとって健二君って、大恩人じゃない。なのに、今まで黙ってた、と」

「そりゃ、佳主馬キレるわー。なんで黙ってたの?」

「言い出しにくかったみたいだけど」

 女性陣が口々に言った後いっせいに佐久間を見て説明を求めるのに、佐久間は肩を竦めて見せた。

「数学オリンピックの日本代表になったら会いに行くって約束してたらしくて。会わせる顔がないとか、そりゃあもう、すごく落ち込んでました」

「あっ、そこに私がバイトをお願いして、」

「上田に来て、侘助が帰って来て、ラブマシーンの事件に繋がっていくわけだ」

 夏希が言って、理一が引き継いだ。

 沈黙が降りる。

 そうして次第に事態を飲み込んで言った親戚たちが、じわじわと顔を笑みの形に変えていく。

「っはー。すごい偶然もあったものよねえ」

「最近、佳主馬が学校の友達と遊ぶようになったの。健二君や佐久間君が一緒に遊んでくれたから、クラスメイトとも慣れたんだって思ってたんだけど…結局、あの子は健二君が一番、いいのね」

「侘助の件で、健二君は佳主馬にとってのヒーローだしな。あのくらいの年代っていやぁ、尊敬する人間にはとことん、こころを許して入れ込むもんだ」

「あの佳主馬が、ねえ。その、【KK】さん? を健二さんと知らなくても連絡をずっと待ってたって…どっちを驚いたらいいのやら」

「佳主馬にとって、健二君の代わりはいないってこと? なにそれ、男女だったら恋が始まってそうなんだけど」

「そもそも、健二君って人と関わりなんて進んで持たない佳主馬が閉じこもってた納戸から出てくる、切っ掛けでしょ」

 親戚達がさっきの佳主馬の剣幕と健二の小動物的な動作を思い出しては、笑いに変えていくのを佐久間が眺めていると、太助がため息を吐いた。

「ホント、佳主馬君は健二君に懐いてるなあ」

「健二は滅多に貰えないもんだから、好意の受け取り方と扱い方が下手すぎるんです。取説欲しいくらいだと思いますよ。だから遠慮がちに恐る恐る、好意を示すでしょ。

 それにどちらかというと、自分に向けられる好意なんてない、と思ってる方がアイツにとって、楽なんです」

 佐久間は、健二が佳主馬に連れられて消えた方角へと視線を向けながら、言葉を継ぐ。

「期待するのに疲れてるのと、無くした時に悲しみたくないから。だから手放す準備だけはいつも、してます。あれはどうしようもないクセで、多分キングが許せないのはそこだと思うんですよね」

 だから人の機嫌には敏感なクセに好意だけはどうしても、鈍感になるんですけど。

 騒がしかったリビングとダイニングが、佐久間の言葉に再びしん、と静かになる。

 けれどこれを知っていて貰わなければ、きっと健二はここへ来るのをキリのいいところでやめてしまうことに佐久間は薄々感づいていて(健二は恐らく夏希と上手く行くなんてこと、考えてもない)、だからこそ引き留めて、図々しいほど強引に、強制的に連行する勢いでいて欲しいと思う。――もし。もし、夏希と最終的に別れてしまっても。

 健二を家族と言ってくれるなら健二だけはこの場所へ、この暖かい居場所を得ることがあればいいと、勝手に都合のいいことを思ってしまう。

「思ったより自分は好かれてるって、いつまで経ってもわかりゃしない、面倒かつ世界の果てまで鈍い男なんです」

 でも、よろしければ皆さんと末永く仲良くして頂けたら嬉しいっていうのが、俺の本音です。

「ってことで、健二をよろしくお願いします」

 佐久間が頭を下げる。その肩をポン、と日に焼けた大きなてのひらが叩いた。

「佐久間君。よくぞ話してくれた。

 佳主馬の大事は陣内の大事だ。陣内にとって、あんたたち二人には侘助の件だけじゃなく、どでかい恩があるってことだな!」

「そうなるわね」

――じゃ、やるこたぁひとつだ」

 ちょっくら電話して来らァ!と去っていく万助と、にっこり笑う万理子が佐久間さん、と声を掛けて来る。

「健二さんの好きな物は判ってるんだけど、貴方はなにが好きかしら。よかったらメモをくれると嬉しいわ」

「あっ、じゃあ買い出し用にダンナに車回して貰いますー」

「夏希ちゃん、今日はお台所のお手伝い、お願いね」

 親戚達がてきぱきと役割分担をしていく中、はっ、と我に返った翔太がまた、声を上げた。

「って、テメーらぁああ! なにやってんだ危ないだろがあああ!! 警察に連絡しろってんだ! 相手は強盗犯で、拳銃持ってたんだからもっと大事になってたかもしれねえんだぞ!」

「翔太…」

 ちょっとそこに正座しろ!と物凄い形相で床を指し示すのに、うひゃあと佐久間が声を上げる。それを不憫に思った太助が宥めるように翔太の名前を呼び、理一が笑みながら穏やかに告げた。

「まあ、陣内の偉大なる恩人のひとりだし、厳重注意くらいですませてやってくれ」